1973年9月2日生まれ  
東京都出身

小学生の頃にパーカッションを習い始め、中学生の時に和太鼓に出会う。
その後和太鼓を中心とした日本の民族芸能に夢中になり、グループを結成、公演活動を行う。

国内の公演活動は元より、1995年からは2年に1度のペースで海外公演活動を行い、1999年にイグアス移住地で公演。移住地の魅力に惹かれていく。

2000年、移住地の方々の依頼により、3か月に1度、日本よりイグアスを訪れて和太鼓を指導。イグアスへの来パ回数が重なる中で移住を決意。
日本人会はじめ、多くの移住地の方の支援、協力を得て2002年6月に弟・雄幾と共に移住。

イグアス移住地の太鼓グループ「鼓太郎」「鼓組」の指導・公演活動。
又、太鼓工房の顔として忙しい日々をおくる。 



1978年10月12日生まれ 
東京都出身

小学校4年の時に親に連れられ地元のお囃子連に入会し太鼓と出会う。
18歳まで活動を続け、太鼓工房の老舗『宮本卯之助商店』に就職。
働きながら「荒馬座」の研修生として1年を過ごす。

正に太鼓に囲まれた生活の中で兄と共に太鼓グループで海外公演を行い、パラグアイ・イグアス移住地にハマる。

2002年6月、兄・琢磨と移住。
ブラジル、パラグアイの各地、及び移住地内太鼓グループ「鼓太郎」「鼓組」の指導・公演活動を兄同様行う。
又、篠笛教室「笛丸」を開いている。
工房では皮″りを一手に担っている。

       スタッフ プロフィール
――私たちがひとつひとつ心を込めて作っています―― (日本人と日系人のスタッフで制作しています)
     


石井吉信
 山形県出身 (棟梁・工房長)
1934年7月5日生まれ

25歳でパラグアイ・ミンガグアスに入植。最初は野菜や養鶏を行っていたが、家具屋に転身。
注文を受けては何でも作り(仏壇からタンスまで)売っていた。
同地の盆踊り大会の発祥者で、ドラム缶やワインの樽に皮をはって、オリジナルの太鼓を作っていた事も。
その後はイグアス移住地に移り、家具屋を続けながら本格的に太鼓作りを習い改良を重ね、今の形を作る。
何でも作る職人。

幸坂佳次
 秋田県出身 (金具担当)1950年6月17日生まれ

日本鋼管に32歳まで勤務。奥様のご両親が、イグアスに移住していたこともあって1982年にイグアスに移住。
その後は農業(主に大豆)を作る。
娘が、太鼓を澤崎兄弟から習っていたこともあって工房へ。
高校生の時、金属工業科を卒業しており、その手腕を活かして金具作りを担当。
太鼓工房が、移住地に定着するよう、また後継者ができるよう願っている。

黒沢貢次
 群馬県出身 (仕上げ担当)1950年2月10日生まれ

千代田学園の海外移住科にて学んでいたが、最終の船が出るということで、学校を中退して移住を決意。
23歳の時4人グループでイグアス移住地に移住する。グループの内2人は帰国。
1人は、アスンシオンへと移るが、実家が農業だった事もあり、移住地の気質にはあっていて、農業一筋(最初は野菜だったが現在は大豆と小麦)。
工房へは、モノを作ることが昔から好きだった為、募集を見て参加。いつの間にか引きずり込まれていった。
いい太鼓を作るので沢山の人に工房の太鼓を叩いて欲しいと願う。

大野ミゲル(U世)
 (荒削り担当)1960年12月3日生まれ

イタプア フラムにて生まれ育つ。
フラムにおいて農業を続けていたが、小さい畑を移動して沢山作るよりも、大きな畑を場所を移動せず、じっくり作りたいと、1997年にイグアスに移住してきた。
主に大豆、トウモロコシ、小麦を扱っている。
フラム時代に見よう見まねで太鼓を作ったこともあり、工房に参加する。
現在は荒削りを担当しているが、自分の荒削りした材木が黒沢さんや石井さんの手で太鼓になっていくのを見るのが、最高に気持ちいい瞬間だそうで、その太鼓が沢山の人に行き渡るようにと、今日もチェーンソーをふるう。

植村秀一(U世)
 (皮作業助手)1992年11月15日生まれ

イグアス生まれのイグアス育ち。
小学生の時、澤崎兄弟の公演をみて太鼓の音をきくと元気になるんだなと感じる。
中学生になり、憧れの移住地の太鼓集団「鼓太郎」に入団。
好奇心旺盛で、笛も吹けたらかっこいいなと、篠笛グループ「笛丸」にも所属。
更には、ここまでハマったのなら工房でアルバイトしないかという澤崎兄弟の誘いに喜んで快諾。
仕事は楽しく、ずっとずっと働きたいとは思いつつ、友達からの遊びの誘いにも心が揺らぐ若者である

谷口柚美(U世)
 (渉外・通訳担当)1984年10月3日生まれ

イグアスに生まれイグアスに育つ。太鼓に興味があり、鼓太郎の創立から入部。
太鼓の面白さに嵌るが、約2年半日本へ。
静岡に車の部品工場で働いていたが2007年1月にイグアスに帰国。大好きな太鼓に復活。
3年近くのブランクを取り戻すため鼓太郎、鼓組の両方に所属、ついには現在の工房スタッフの中で唯一の女性として工房メンバーとなる。

       企業コンセプト・紹介
1999年と2001年、日本の太鼓集団が2度のイグアス公演を行いました。
自然豊かなイグアスで移住地の方々と一緒に太鼓を叩きたいという思いが、その公演のメンバーであった澤崎兄弟の中でふくらみ、イグアスの方々のご協力を受け、2002年6月、澤崎兄弟が移住、移住地内で誕生した「鼓太郎」、「鼓組」などの太鼓グループが本格的に活動を始めました。日々練習を重ね、パラグアイでの公演のみならず、ブラジルのサンパウロ・サンジョアキン・ベレンやアルゼンチンのラプラタなどでの公演を行ってきました。

このような活動を通して、色々な場所で太鼓を叩いてみたいと思われる方々が増えてきました。
一方、日本の民族芸能活動を続けるためには数多くの太鼓が不可欠です。しかもその太鼓そのものが日本から輸入すると、とても高価なものになります。経済的な負担も少なくありません。修理・メンテナンスにしても同様です。
そこで現地の材料を使って何とか現存の太鼓を修理できないかと思案中の2002年12月に2人の太鼓作りの指導者が日本よりイグアス移住地へ訪れました。太鼓作りの作業を習い、覚えていくうちに、当地でも充分に修理に対応出来る事がわかりました。

そんな中、この機会に太鼓工房を立ち上げようという話が持ち上がり、イグアス移住地の石井吉信(現在工房の工房長)を中心に幸坂佳次、黒沢貢次、大野ミゲルとこれまでモノ作りをしてきたメンバーが集まり、工房が立ち上がりました。
パラグアイ人ではなく、日本人と日系人のスタッフのみで、材料も日本に負けない良いものが見つかり、修理だけでなく太鼓などの製作を手がけるようになりました。2003年6月、イグアス太鼓第1号が完成。その後も改良を重ねて、よりよい和太鼓を製作できるよう作業を続けてまいりました。

そのさなかブラジルでも和太鼓ブームが続き、各地のチーム、グループも増え、ブラジル国内産の和太鼓の生産が追いつかないと聞きます。下手をすると和太鼓独特の響きがなく、聴衆から「ちょっと違うなぁ」などの声が出る太鼓もあるらしいのです。

この度、是非日本の音色そのままの和太鼓を製作している工房の太鼓を、パラグアイはもとより、ブラジルを中心に南米各国でも販売、提供出来ないかという試みが具体化し、2006年S.R.L(有限会社)としての認可を受けました。
これで正式にイグアス太鼓工房は会社として製作活動を行っていくことができます。日本で作るモノに劣らない太鼓、更にはパラグアイ産でないと出来ない格安のお値段にて、ご提供出来るという事もあり、販売を本格的に、はじめます。

これまで以上にイグアス太鼓工房全員が心を一つにしてイグアスが太鼓の里≠ニいわれるように努力を重ねて参ります。今後は南米市場にとどまらず、日本と南米の架橋として、又和太鼓のグローバル化にともない、世界への進出も視野に入れて活動していきたいと存じます。

2006年8月イグアス移住地を親善旅行途次に訪れた扇千景参議院議長が、イグアス産和太鼓を試し打ちされ、さらには11月パラグアイ日本人移住70周のお祝いで来パされた秋篠宮殿下も歓迎会において同太鼓を試し打ちされ、御二人とも絶賛される一コマもありました。
南米で本格的な和太鼓を生産する”イグアス太鼓工房”、その確かな音色にパラグアイでの日本伝統文化の根付きを感じられた事と思います。
小さく芽吹いたばかりの工房ではありますが、これからより一層 赤土の大地にしっかりと根を張り、天高く枝を伸ばして大きな花を咲かせますよう、何卒ご指導、ご声援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。


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